2011イタリア渡航記 10日間の旅
<関空からフィレンツェへ>
16時間も飛行機に乗るのは初めてだ。
前回の「2009シェフのイタリア渡航記」と同様に今回も関西国際空港が旅の出発地点です。
ただ前回と違うのは、私が一緒!”ということ。私は、今回が初のイタリア!
私も本場のイタリアを体験し、お客様にイタリアの空気を感じて頂くための研修旅行!
そして、シェフの奥さんとして初めての旅行。つまり”新婚旅行”も兼ねてます!
何もかも初めての旅行。いろんなイタリアをシェフに体験させてもらいました。
関西国際空港からローマ、飛行機を乗り継いで一気にフィレンツェへ。
(約16時間)
今回の旅行では、石の口に手は突っ込みません。
後ろを向いて泉にコインも投げないし、広場の階段でジェラートも食べません。
もちろんベネッィアでゴンドラにも乗りません。
ツアーで訪れるような、観光名所巡りもきっと楽しいのだろうけど、今回シェフには”シェフが私に見せたいイタリアが見たい、シェフが感じさせたいイタリアを感じたい”
とリクエスト。なので行先はすべてシェフ任せ。
シェフは店をオープンする前にイタリアで修業をしていたので、会話も出来るし、
とっても安心で頼もしい。
だけど何でもシェフ任せではダメだし、なるべくイタリア語を使ってイタリアを堪能しなければと思い、渡航前と機内で簡単なイタリア語会話と1~100までの数字を必死で覚えていった。
ただ前回と違うのは、私が一緒!”ということ。私は、今回が初のイタリア!
私も本場のイタリアを体験し、お客様にイタリアの空気を感じて頂くための研修旅行!
そして、シェフの奥さんとして初めての旅行。つまり”新婚旅行”も兼ねてます!
何もかも初めての旅行。いろんなイタリアをシェフに体験させてもらいました。
関西国際空港からローマ、飛行機を乗り継いで一気にフィレンツェへ。
(約16時間)
今回の旅行では、石の口に手は突っ込みません。
後ろを向いて泉にコインも投げないし、広場の階段でジェラートも食べません。
もちろんベネッィアでゴンドラにも乗りません。
ツアーで訪れるような、観光名所巡りもきっと楽しいのだろうけど、今回シェフには”シェフが私に見せたいイタリアが見たい、シェフが感じさせたいイタリアを感じたい”
とリクエスト。なので行先はすべてシェフ任せ。
シェフは店をオープンする前にイタリアで修業をしていたので、会話も出来るし、
とっても安心で頼もしい。
だけど何でもシェフ任せではダメだし、なるべくイタリア語を使ってイタリアを堪能しなければと思い、渡航前と機内で簡単なイタリア語会話と1~100までの数字を必死で覚えていった。
<イタリア入国審査>
荷物が出てくるのがとても遅い。
英語で言う”さいとしーいんぐ(観光です)””すりーでいす(3日です)”
たいして海外旅行はしていないけれど、どこへいっても聞かれたことはないし、
言ったこともない。だけど、どこへ行っても入国審査だけはきちんとしてもらっていたと思う。
フィリピンだってカンボジアだってハンコは押してもらったし、顔もジロジロ見られた。
入国審査の人が、もうすでにイタリア人だということをすっかり忘れていて、気がついた時には
もう目の前で、後ろにシェフはいるけれど、私にイタリア語を使わせたいので先に行かせて放置。
ニコニコしている。
たしかイタリア語会話の本に書いてあったけれど、そんなイタリア語より”トイレはどこですか?”
を覚えるのに必死だった。
しまった・・。と思った時にはもう呼ばれて、
慌て過ぎてシェフのパスポートを出してしまった!!
(ちなみにイタリア語でパスポートは”パッサポルト”。何となくかわいい。
ホテルなどでは提出を求められる。
2人分のパッサポルトをずっと預かっていたのでシェフに「カメリエーラ、パッサポルト!」
と何度も言われた。)
入国審査員はパッサポルトを開けもせずに、投げ返して”もう行けっ”みたいなしぐさ。
めんどくさそう。
表紙の”JAPAN”しか見ていない。後ろが長蛇の列だから、ものすごくめんどくさそう。
当然ハンコも押してもらえずそのまま入国。もちろん直前でパッサポルトは自分のと交換したけれど、
日本のパッサポルト持っていれば、別人でも入れそうなイタリア。ちょっとびっくりした。
たいして海外旅行はしていないけれど、どこへいっても聞かれたことはないし、
言ったこともない。だけど、どこへ行っても入国審査だけはきちんとしてもらっていたと思う。
フィリピンだってカンボジアだってハンコは押してもらったし、顔もジロジロ見られた。
入国審査の人が、もうすでにイタリア人だということをすっかり忘れていて、気がついた時には
もう目の前で、後ろにシェフはいるけれど、私にイタリア語を使わせたいので先に行かせて放置。
ニコニコしている。
たしかイタリア語会話の本に書いてあったけれど、そんなイタリア語より”トイレはどこですか?”
を覚えるのに必死だった。
しまった・・。と思った時にはもう呼ばれて、
慌て過ぎてシェフのパスポートを出してしまった!!
(ちなみにイタリア語でパスポートは”パッサポルト”。何となくかわいい。
ホテルなどでは提出を求められる。
2人分のパッサポルトをずっと預かっていたのでシェフに「カメリエーラ、パッサポルト!」
と何度も言われた。)
入国審査員はパッサポルトを開けもせずに、投げ返して”もう行けっ”みたいなしぐさ。
めんどくさそう。
表紙の”JAPAN”しか見ていない。後ろが長蛇の列だから、ものすごくめんどくさそう。
当然ハンコも押してもらえずそのまま入国。もちろん直前でパッサポルトは自分のと交換したけれど、
日本のパッサポルト持っていれば、別人でも入れそうなイタリア。ちょっとびっくりした。
<バスの切符>
バスの切符がかわいい。
イタリアのバスの乗り方は日本と少し違う。
シェフは朝、これからバスに乗ってサンタ・マリア・ノベッラ駅に行くと言っていた。
きっとバス停は近くの大通りにあるのだろうし、お金もバスに乗って
先に払うのか、それとも降りる時なのかな?と思っていた。
チェックアウトをした後、シェフはホテルの人にバス停の場所を聞いていた。
当然イタリア語、頼もしい。
そしてホテルの人からバスのチケットを買った。
(バスのチケットってホテルに売っているの?)
イタリアのバスのチケットはデザインがとても綺麗。
日本の文字だけのチケットとは大違い。
<バス乗車>
思った通りバス停は近くの大通りにあったし、日本と同じバス停の目印はあるけど、
時刻表も行き先も何が書いてあるかわからない。(いったいどれにのればいいの?いつくるの?)
シェフは「○番って書いてあるバスに乗るよ」ってわかってるけど、それもホテルの人に教えてもらったみたい。
バスに乗ると、何箇所かに「チケットに日時を印字する機械」が設置されていて、乗ったら必ず印字しなければ
いけないらしい。差し込めばいいだけの簡単な機械だから私にもすぐできた。
バスの警備隊が、抜き打ちでチケットに印字がされているかを見回りに来るだけで、
降りる時チケットを渡すこともない。
この辺も日本とは違う。
(イタリア渡航中、何度かバスに乗ったけれど、1度だけ警備隊に遭遇した。
バス停でドアが開くと、突然乗り込んでくる怖い顔のおじさんにチケットを見せた。)
日本みたいに「次は○○前~○○前~」というアナウンスは無い。(そもそも乗ったバス停に名前ってあった?)
だからどこで降りるのかは分からない。さすがのシェフにも初めての場所だし分からないらしい。
シェフの“バスの降り方のコツ”はバスの運転手さんに「○○で停まりますか?」「○○についたら教えて!」
と乗った時に言う。らしい。
「ん~なるほどっ!」・・だけど、イタリア語がわからないので、もし言えたとしても・・・たぶん降りられないと思う。
終点だったこともあり、サンタ・マリア・ノベッラ駅にはスムーズに降りることが出来た。
時刻表も行き先も何が書いてあるかわからない。(いったいどれにのればいいの?いつくるの?)
シェフは「○番って書いてあるバスに乗るよ」ってわかってるけど、それもホテルの人に教えてもらったみたい。
バスに乗ると、何箇所かに「チケットに日時を印字する機械」が設置されていて、乗ったら必ず印字しなければ
いけないらしい。差し込めばいいだけの簡単な機械だから私にもすぐできた。
バスの警備隊が、抜き打ちでチケットに印字がされているかを見回りに来るだけで、
降りる時チケットを渡すこともない。
この辺も日本とは違う。
(イタリア渡航中、何度かバスに乗ったけれど、1度だけ警備隊に遭遇した。
バス停でドアが開くと、突然乗り込んでくる怖い顔のおじさんにチケットを見せた。)
日本みたいに「次は○○前~○○前~」というアナウンスは無い。(そもそも乗ったバス停に名前ってあった?)
だからどこで降りるのかは分からない。さすがのシェフにも初めての場所だし分からないらしい。
シェフの“バスの降り方のコツ”はバスの運転手さんに「○○で停まりますか?」「○○についたら教えて!」
と乗った時に言う。らしい。
「ん~なるほどっ!」・・だけど、イタリア語がわからないので、もし言えたとしても・・・たぶん降りられないと思う。
終点だったこともあり、サンタ・マリア・ノベッラ駅にはスムーズに降りることが出来た。
<教会の鐘の音>
駅でスーツケースを預け、駅前の広場に出ると、ちょうど教会の鐘が鳴った。
イタリアの教会の鐘は初めてなのに何故だか懐かしいし、落ち着く。
街並みに溶けて、染み込むように鳴り響いている。
私の体にも染みて溶ける。
遠い昔の鐘の音が染み込む街並と、今、そしてこれからも鳴り響く鐘の音を聞きながら
イタリアの歴史を感じた。
”シェフ!私、今イタリアを感じています!”
お店で教会の鐘を鳴らしたいと言っていたシェフのために、慌ててカメラの動画に収めた。
イタリアの教会の鐘は初めてなのに何故だか懐かしいし、落ち着く。
街並みに溶けて、染み込むように鳴り響いている。
私の体にも染みて溶ける。
遠い昔の鐘の音が染み込む街並と、今、そしてこれからも鳴り響く鐘の音を聞きながら
イタリアの歴史を感じた。
”シェフ!私、今イタリアを感じています!”
お店で教会の鐘を鳴らしたいと言っていたシェフのために、慌ててカメラの動画に収めた。
<フィレンツェ観光>
しっとりとしたイタリアの朝はとても綺麗。
シェフはフィレンツェ観光で、私を楽しませてくれた。
今回の旅行では、ツアーで回るような観光名所には行かないよっ‥
と言ってもちゃんと名所も連れていってくれる。
行き先はシェフ担当!とは言え、自分の連れて行きたいところばかり
ではない所に、思いやりを感じます。
フィレンツェは嫌いだって言ってたのに、ありがとうございます!
フィレンツェに来たら必ずみんなが訪れる、観光名所「ドゥオーモ」
ドーム型の赤レンガ屋根の大聖堂。駅から徒歩で10分くらいの所にある。フィレンツェの赤レンガ屋根とドゥオーモの写真はフィレンツェの
ガイドブックの表紙になるくらいに有名なので、私も何度ともなく
見たことがある。
世界遺産ってそれだけだと思っていたけど、フィレンツェは
「屋根のない美術館」と言われていて街全体が世界遺産らしい。
ということは、ベランダにかかる小さな植木鉢も世界遺産。
遠い昔に建てられた大聖堂もそうだけど、
今日咲いたベランダの花も、水やりするおじいちゃんも、
干したばかりの洗濯物も、みんなひっくるめて世界遺産。
街が世界遺産って建物や美術館が街に溢れているだけじゃなくて、そこに住む人や生活が溶け込んだ街もみんな世界遺産なんだ。
そんなこと思いながらまたイタリアの歴史を感じた。
<ランチ>
イタリアで初めてのランチ。
シェフがホテルのおじさんに聞いた、地元の人が通うお勧めのレストラン。
何故か聞いた場所にお店は無くて、いろんな人に場所を聞きながらやっと着いたお店。
「IL LATINI(イル・ラティーニ)」
すごく広いお店は、ランチには遅い時間に入ったのに、ほぼ満席。おおきな話し声と、
食事の音でいっぱい。
フィレンツェの人気店らしい。
シェフが店員さんに席が空いているのかを聞いた。
「空いてるテーブル、ある?」というイタリア語。日本でシェフに教えてもらって覚えてきたけれど、結局この旅では使わなかった。
何度も機会があったのに・・ちょっと後悔。
(ちなみにイタリア語で、「チェ・ウナ・ターヴォラ・リーベラ?」。これを言うと「クワンティ・ペルソーニ?(何人?)」って聞かれるから「ドゥエ(2人)」って言わないといけない。)
案内されたのは”6人がけのテーブル”。(後ろは壁だし、結構ぎゅうぎゅうな感じ・・)
両端の席には、もうすでにイタリアのおばちゃまが2組、向かい合わせで座っている。
「ん??ここ?真ん中?・・もしかして相席?」(私、”相席”って日本でもたぶん経験がない・・。)
シェフは当然みたいな顔して爽やかに着席。(シェフの方は通り道だしね)
私は後ろが壁なので、イタリアのおばちゃまにちょっと席を立ってもらって、緊張しながら真ん中に着席。
おばちゃまは私達に大注目で、様子を伺いながら目配せで”こんにちは!”そして満面の笑顔!
私も目配せで”初相席ですが、宜しくお願いします”そして緊張で引きつりながら、精いっぱいの笑顔!
もうすでに”このテーブルのどこに料理が乗るんだろう?”
というくらいにフォークやナイフ、グラス、粉チーズ、ボトルに入ったオリーブオイルに塩コショウが所狭しと置いてある。
カメリエーレ(男性の店員さん)はすぐにオーダーを取りに来た。
(え、もう?メニューとかないの?みんなメニュー見て頼まないの?まぁ私、見ても分からないけど・・)
シェフが頼むと、カメリエーレはメニューを持ってきてくれた。
(「ねぇ、どれにする?何食べたい?」って聞くけど、見ても分かりませんよ・・。) イタリア語はローマ字読みなので、「ラビオリ」とか「ペンネ」が読めたので、
私は「ラビオリ」が食べたいと言って、あとはお任せした。
シェフはカメリエーレとやり取りしながら決めていた。
オーダーが終わると、隣のおばちゃまはシェフに”そのメニュー見せて”みたいなことを言っていた。
(たぶんさっき、シェフのオーダーを聞いて「この日本人、イタリア語が出来るんだ!」と思ったみたい。)
シェフはおばちゃまにメニューを渡すと「トイレ行ってくる」といって行ってしまった・・・・。
(ひぃぃ~、まさか・・この状態で、私を一人にして放置するんですか?)
”シェフが帰ってくるまでに料理が届きませんように・・”って祈ったけど、すぐに来た。でも隣っぽい。良かった・・。
隣のパスタをチラッと見たら目が合って、おばちゃまは目配せで“そこの粉チーズ取ってくれる?”(テーブルに1つみたい)私も何となくわかって、
目配せで”どうぞ”って、粉チーズらしき入れ物を渡した。
もう一度”シェフが帰ってくるまでに料理が届きませんように・・”と祈ったけど、すぐに来た。
(カメリエーレさん、そこに置いた皿はうちの?それとも隣?狭いからさっぱりわからないよ。)
置いてすぐ去って行ったカメリエーレには、もちろん聞く暇もなかったし、なんて言っていいかもわからない。
思い切って隣のおばちゃまに、(皿を指差して・・自分を指差して・・)目配せで”うち?”って聞いてみたら、思いっきり笑顔で”そうよ”
と目配せしてくれた。
シェフは帰ってきて「あれ?これうちの?もう来たの?」って爽やかに聞くから、私も「そうですよ」って爽やかに言ったけど、それが私達の
だって分かるのに結構頑張ったんです、私。
ILGRAPPOLOでもたまに出てくる「クロスティーニ(鶏レバーペーストのブルスケッタ)」が臭みもなくてふわふわで、ちょっと温かくて、下のパンも少し揚げてあるみたいでサクサクしていてとっても美味しかった。
その後、パンやワイン・パスタも出てきてテーブルは、料理で満席になった。
シェフは食べながら、隣のおばちゃまとたくさん話をしていた。「原発の話」「津波の話」「私達の旅行の話」
「おばちゃまたちの旅行の話」。私も、話の途中にたまにやってくるおばちゃまの”そうなの?”という目配せに”そうなんです~”と笑顔で目配せしつつ、食べながら聞いていた。
イタリアの食事は長い時間かけて、知らない隣の人とも大きな声で、楽しくおしゃべりしながら食べるらしい。
シェフは、”今、この時間を満喫しています!”という、とってもいい顔で話をしていた。”シェフ・・私も今、イタリアの食文化を感じながら、美味しく味わってますよ!”
かなりの時間食事をしたのに、私達より先に食事しているはずの周りのテーブルは、まだ帰る気配もなかった。
帰りにもらったお店のポストカードで、母宛てにイタリアから手紙を書いた。
シェフがホテルのおじさんに聞いた、地元の人が通うお勧めのレストラン。
何故か聞いた場所にお店は無くて、いろんな人に場所を聞きながらやっと着いたお店。
「IL LATINI(イル・ラティーニ)」
すごく広いお店は、ランチには遅い時間に入ったのに、ほぼ満席。おおきな話し声と、
食事の音でいっぱい。
フィレンツェの人気店らしい。
シェフが店員さんに席が空いているのかを聞いた。
「空いてるテーブル、ある?」というイタリア語。日本でシェフに教えてもらって覚えてきたけれど、結局この旅では使わなかった。
何度も機会があったのに・・ちょっと後悔。
(ちなみにイタリア語で、「チェ・ウナ・ターヴォラ・リーベラ?」。これを言うと「クワンティ・ペルソーニ?(何人?)」って聞かれるから「ドゥエ(2人)」って言わないといけない。)
案内されたのは”6人がけのテーブル”。(後ろは壁だし、結構ぎゅうぎゅうな感じ・・)
両端の席には、もうすでにイタリアのおばちゃまが2組、向かい合わせで座っている。
「ん??ここ?真ん中?・・もしかして相席?」(私、”相席”って日本でもたぶん経験がない・・。)
シェフは当然みたいな顔して爽やかに着席。(シェフの方は通り道だしね)
私は後ろが壁なので、イタリアのおばちゃまにちょっと席を立ってもらって、緊張しながら真ん中に着席。
おばちゃまは私達に大注目で、様子を伺いながら目配せで”こんにちは!”そして満面の笑顔!
私も目配せで”初相席ですが、宜しくお願いします”そして緊張で引きつりながら、精いっぱいの笑顔!
もうすでに”このテーブルのどこに料理が乗るんだろう?”
というくらいにフォークやナイフ、グラス、粉チーズ、ボトルに入ったオリーブオイルに塩コショウが所狭しと置いてある。
カメリエーレ(男性の店員さん)はすぐにオーダーを取りに来た。
(え、もう?メニューとかないの?みんなメニュー見て頼まないの?まぁ私、見ても分からないけど・・)
シェフが頼むと、カメリエーレはメニューを持ってきてくれた。
(「ねぇ、どれにする?何食べたい?」って聞くけど、見ても分かりませんよ・・。) イタリア語はローマ字読みなので、「ラビオリ」とか「ペンネ」が読めたので、
私は「ラビオリ」が食べたいと言って、あとはお任せした。
シェフはカメリエーレとやり取りしながら決めていた。
オーダーが終わると、隣のおばちゃまはシェフに”そのメニュー見せて”みたいなことを言っていた。
(たぶんさっき、シェフのオーダーを聞いて「この日本人、イタリア語が出来るんだ!」と思ったみたい。)
シェフはおばちゃまにメニューを渡すと「トイレ行ってくる」といって行ってしまった・・・・。
(ひぃぃ~、まさか・・この状態で、私を一人にして放置するんですか?)
”シェフが帰ってくるまでに料理が届きませんように・・”って祈ったけど、すぐに来た。でも隣っぽい。良かった・・。
隣のパスタをチラッと見たら目が合って、おばちゃまは目配せで“そこの粉チーズ取ってくれる?”(テーブルに1つみたい)私も何となくわかって、
目配せで”どうぞ”って、粉チーズらしき入れ物を渡した。
もう一度”シェフが帰ってくるまでに料理が届きませんように・・”と祈ったけど、すぐに来た。
(カメリエーレさん、そこに置いた皿はうちの?それとも隣?狭いからさっぱりわからないよ。)
置いてすぐ去って行ったカメリエーレには、もちろん聞く暇もなかったし、なんて言っていいかもわからない。
思い切って隣のおばちゃまに、(皿を指差して・・自分を指差して・・)目配せで”うち?”って聞いてみたら、思いっきり笑顔で”そうよ”
と目配せしてくれた。
シェフは帰ってきて「あれ?これうちの?もう来たの?」って爽やかに聞くから、私も「そうですよ」って爽やかに言ったけど、それが私達の
だって分かるのに結構頑張ったんです、私。
ILGRAPPOLOでもたまに出てくる「クロスティーニ(鶏レバーペーストのブルスケッタ)」が臭みもなくてふわふわで、ちょっと温かくて、下のパンも少し揚げてあるみたいでサクサクしていてとっても美味しかった。
その後、パンやワイン・パスタも出てきてテーブルは、料理で満席になった。
シェフは食べながら、隣のおばちゃまとたくさん話をしていた。「原発の話」「津波の話」「私達の旅行の話」
「おばちゃまたちの旅行の話」。私も、話の途中にたまにやってくるおばちゃまの”そうなの?”という目配せに”そうなんです~”と笑顔で目配せしつつ、食べながら聞いていた。
イタリアの食事は長い時間かけて、知らない隣の人とも大きな声で、楽しくおしゃべりしながら食べるらしい。
シェフは、”今、この時間を満喫しています!”という、とってもいい顔で話をしていた。”シェフ・・私も今、イタリアの食文化を感じながら、美味しく味わってますよ!”
かなりの時間食事をしたのに、私達より先に食事しているはずの周りのテーブルは、まだ帰る気配もなかった。
帰りにもらったお店のポストカードで、母宛てにイタリアから手紙を書いた。
<市場>
次の日、シェフに連れられて、早朝の「メルカルト(市場)」で”イタリアの食文化”のお勉強。
大きな市場の建物前にテントがあり、中は野菜と果物などが種類ごとに山盛りにされていた。
渡航前、”CDで覚えるイタリア単語帳”を毎日聞いていて、何故か「野菜・果物編」が気に入ってしまい、シェフに「そんな単語は使わないから、覚えなくてもいいよ!」ってさんざん言われたのに、そればっかり繰り返し聞いていた。
値札に書いてある「スピナーチ(ほうれん草)」「ファジョーリ(いんげん)」
「ポモドーロ(トマト)」「フラーゴラ(いちご)」を見つけるたびに興奮して、
指差しながら連呼して叫んだ!(気に入ると連呼してしまう)
市場の人には、朝っぱらから大っきな3歳児がいるな・・と思われていたと思う。
テントを出ると大きな市場。中はお肉や、チーズなどが数多く並ぶ。
日本では「牛・豚・鶏」が主流だけど、こちらは量も種類もとっても多い。
さらにデカイし、丸ごと!!
ウサギとかヤギとかキジとかハトとかイノシシなどなど・・。
シェフは日本では手に入らない食材のひとつひとつを、ものすっごくほしそうな顔で私に説明しながら、目を輝かせて大興奮していた。
(ILGRAPPLO店内に、シェフ目線でこの旅を綴った渾身の作品”2011イタリア渡航記vol.1”が置いてあります。
このアルバム、沢山の写真とチケットやレシートなどに事細かな日記をつけて、私の為に作ってくれました。
シェフの新婚旅行満喫っぷりや、初イタリアでチビッた私のことなども書いてありますが、もちろん食材の説明などが写真付きで
書いてありますので、市場の詳しい様子などはそちらをご覧ください。)
”イタリアの食文化のお勉強”で、改めてシェフの食への情熱を感じることができた。
<シエナ到着>
今回の旅で一番興味のあった街、シエナ。バイトを始めてからずっと行ってみたいと思っていた。
実は2年と少し前、いろんな偶然が重なって、ILGRAPPOLOでのバイトが決まった頃には
聞いたこともなかった。
バイトを始めて少しした頃に「このお店は、イタリアのどの地域の料理ですか?」という質問を
シェフにすると、
「トスカーナだよ、自分はそこで働いていたんだ。僕はシエナが大好きで、このお店と料理で
シエナの風を感じてもらいたいんだ!」と熱く教えてもらった。
たぶんその時、「シエナって何ですか?」と聞いたと思う。
私はそれくらいイタリアの知識がなかった。ごめんね、シェフ。きっとがっかりしたでしょうね。
イタリアの知識は何も無かったけど、このお店に何度か食べに来て、この店の落ち着く雰囲気が
好きになって、「バイトをするならILGRAPPOLOみたいなお店で働きたいな。」という私に、
お友達が「ならILGRAPPOLOでバイトすればいいんじゃない?」と言ってくれたのが、
この店で働くきっかけになった。
バイトを始める少し前、大好きな祖父が死に、ひどく落ち込んだ。
なんとか立ち直ろうと思い、「これからやりたいことを始めて、楽しいことをしよう!辛い気持ちにならないように生きよう!」と思った。
それが私にとって「バイトを始める」ということだった。
「バイトをするならILGRAPPOLO」という言葉を思い出し、ネット検索で「ILGRAPPOLO バイト」を検索。
HPは見つかったが、当然募集などしていない。
募集が出るまで待つつもりだった。少し待って出なければ、諦めようと思っていた。
数日後、なんとILGRAPPOLOのHPにバイト募集の記事がアップされた。驚いたと同時に、その日から毎日2週間、悩みに悩んだ。
15年間事務職ばかりで接客も、バイトの経験も無かった。事務職ばかりしてきた分、接客業に憧れがあり、その気持ちを志望動機に書き、
募集のボタンを押した。
その日にシェフから電話があり、面接をしてもらった。食事をしに来た時の暖かい印象ではなく、なんだか厳しそう。
「私にできるかしら?」とヘラヘラ笑う私に、「仕事なんで、してもらわないと困ります。」と厳しい一言。
「あれ?こんな厳しそうな人だったかな?」という印象だった。
接客は未経験だし、もう一人応募している人がいると言われ、諦め半分で質問に答えていた。合否は後日連絡しますと言われたが、
店を出て10分後に「合格です」という電話をシェフからもらった。異例の即決だったらしい。
後から聞いた話だと、私が応募のボタンを押した時、ちょうど募集締切りの一時間前で、既に応募のあった人に決まり、
合格の電話をしようとしていたらしい。
電話をする前にシェフがたまたま、私の応募を見なければ、バイトは別の人に決まっていただろう。そして、私がもう一日悩んでいたら、
今のこの楽しい生活は無かったな、と思う。
私はシェフと結婚し、イタリアに新婚旅行に来ている。今、二人でシエナの街に立っている。
今のこの気持ちを忘れずに、これからもシェフを大切にして、私もシェフを癒す存在になれればいいなと思う。
渡航記のはずが、大きく横道にそれてしまったけれど、そんな気持ちでシエナに到着した私を待っていたのは、
ILGRAPPOLOの雰囲気に似た、とても落ち着く街だった。
実は2年と少し前、いろんな偶然が重なって、ILGRAPPOLOでのバイトが決まった頃には
聞いたこともなかった。
バイトを始めて少しした頃に「このお店は、イタリアのどの地域の料理ですか?」という質問を
シェフにすると、
「トスカーナだよ、自分はそこで働いていたんだ。僕はシエナが大好きで、このお店と料理で
シエナの風を感じてもらいたいんだ!」と熱く教えてもらった。
たぶんその時、「シエナって何ですか?」と聞いたと思う。
私はそれくらいイタリアの知識がなかった。ごめんね、シェフ。きっとがっかりしたでしょうね。
イタリアの知識は何も無かったけど、このお店に何度か食べに来て、この店の落ち着く雰囲気が
好きになって、「バイトをするならILGRAPPOLOみたいなお店で働きたいな。」という私に、
お友達が「ならILGRAPPOLOでバイトすればいいんじゃない?」と言ってくれたのが、
この店で働くきっかけになった。
バイトを始める少し前、大好きな祖父が死に、ひどく落ち込んだ。
なんとか立ち直ろうと思い、「これからやりたいことを始めて、楽しいことをしよう!辛い気持ちにならないように生きよう!」と思った。
それが私にとって「バイトを始める」ということだった。
「バイトをするならILGRAPPOLO」という言葉を思い出し、ネット検索で「ILGRAPPOLO バイト」を検索。
HPは見つかったが、当然募集などしていない。
募集が出るまで待つつもりだった。少し待って出なければ、諦めようと思っていた。
数日後、なんとILGRAPPOLOのHPにバイト募集の記事がアップされた。驚いたと同時に、その日から毎日2週間、悩みに悩んだ。
15年間事務職ばかりで接客も、バイトの経験も無かった。事務職ばかりしてきた分、接客業に憧れがあり、その気持ちを志望動機に書き、
募集のボタンを押した。
その日にシェフから電話があり、面接をしてもらった。食事をしに来た時の暖かい印象ではなく、なんだか厳しそう。
「私にできるかしら?」とヘラヘラ笑う私に、「仕事なんで、してもらわないと困ります。」と厳しい一言。
「あれ?こんな厳しそうな人だったかな?」という印象だった。
接客は未経験だし、もう一人応募している人がいると言われ、諦め半分で質問に答えていた。合否は後日連絡しますと言われたが、
店を出て10分後に「合格です」という電話をシェフからもらった。異例の即決だったらしい。
後から聞いた話だと、私が応募のボタンを押した時、ちょうど募集締切りの一時間前で、既に応募のあった人に決まり、
合格の電話をしようとしていたらしい。
電話をする前にシェフがたまたま、私の応募を見なければ、バイトは別の人に決まっていただろう。そして、私がもう一日悩んでいたら、
今のこの楽しい生活は無かったな、と思う。
私はシェフと結婚し、イタリアに新婚旅行に来ている。今、二人でシエナの街に立っている。
今のこの気持ちを忘れずに、これからもシェフを大切にして、私もシェフを癒す存在になれればいいなと思う。
渡航記のはずが、大きく横道にそれてしまったけれど、そんな気持ちでシエナに到着した私を待っていたのは、
ILGRAPPOLOの雰囲気に似た、とても落ち着く街だった。
<シエナのホテル>
シエナのバス停から、スーツケースをゴロゴロ転がし、石畳と古い街並みの路地を歩く。
ショーウインドーやお店にとっても興味があって、子供見たいにキョロキョロしながら歩いた。
シェフは大好きなシエナを懐かしそうに、子供見たいに目をキラキラさせながら歩いている。
有名なフィレンツェとは違って、きっと人も少ないのだろうと思っていたけれど、
結構な人通りだった。
さほど遠くない所にシェフ御用達のホテルがあり、早速シェフがチェックインする。
また私はとりあえず『笑顔』で見てるだけ。
チェックインは難しい。気持ちで負ける。きっと次は頑張ります。
部屋ではまだイタリア人女性が怒りながら掃除をしていた。
『前の人が出るのが遅くて掃除が間に合わない』と言うようなことをっているらしいが、
私にはさっぱりわからないし、恐ろしい。
日本ではちょっと有り得ない光景だな。
まだ掃除が終わらないらしいので、スーツケースを置いてすぐ、ホテルを出る。
フロントのおじさんに“Ciao”。無意識に出るようになってきた。
イタリア3日目、私もずいぶん慣れてきたかな。
<カンポ広場>
シェフに連れられてシエナの街を二人で歩く。
何度となくシエナに来ているシェフは、迷うことなくカンポ広場へと向う。とっても楽しそうだ。
カンポ広場はすり鉢状になった広場の回りを、塔や建物が囲むようにびっしりと建っていて、
幾つもある建物と建物の間が、広場への入口になっている。
すでに広場への入口を幾つも通り越しているのに、何故だかシェフは入ろうとしない。
どうやらお気に入りの入り口があるらしく、入口を通り越す度にチラチラと見えるマンジャの塔を、
何だか見せないようにしている。
『ジャジャ~ン、これがカンポ広場で~す』と言って、私に見せてくれたのは、薄暗い建物の間から、
太陽の光りを浴びて浮かび上がる“マンジャの塔“だった。
広場の石畳も回りの建物も、マンジャの塔も少しずつ色が違ってるけど、すべてがレンガ色。
絵の具には街の名前からついた『シエナ色』という色があるらしい。落ち着く景色だ。
それにしてもスゴイ人。なのに日本人は見当たらない。シエナはフィレンツェから
オプショナルツアーで観光するような街なので、知らない人もいるかもしれないが、
フィレンツェに来たのならオススメの観光スポットだと思う。
マンジャの塔の上まで登ると、シエナの街と街の周りのブドウ畑や、田園風景が一望できる。石の階段をぐるぐる回って登るので、
とっても大変だけど、イタリアの田園風景は見応えがあり、圧倒される。そして上から見るカンポ広場は、周りの音が聞こえなくなり
疲れも、時間が経つのも忘れてしまうほど、綺麗だった。
何度となくシエナに来ているシェフは、迷うことなくカンポ広場へと向う。とっても楽しそうだ。
カンポ広場はすり鉢状になった広場の回りを、塔や建物が囲むようにびっしりと建っていて、
幾つもある建物と建物の間が、広場への入口になっている。
すでに広場への入口を幾つも通り越しているのに、何故だかシェフは入ろうとしない。
どうやらお気に入りの入り口があるらしく、入口を通り越す度にチラチラと見えるマンジャの塔を、
何だか見せないようにしている。
『ジャジャ~ン、これがカンポ広場で~す』と言って、私に見せてくれたのは、薄暗い建物の間から、
太陽の光りを浴びて浮かび上がる“マンジャの塔“だった。
広場の石畳も回りの建物も、マンジャの塔も少しずつ色が違ってるけど、すべてがレンガ色。
絵の具には街の名前からついた『シエナ色』という色があるらしい。落ち着く景色だ。
それにしてもスゴイ人。なのに日本人は見当たらない。シエナはフィレンツェから
オプショナルツアーで観光するような街なので、知らない人もいるかもしれないが、
フィレンツェに来たのならオススメの観光スポットだと思う。
マンジャの塔の上まで登ると、シエナの街と街の周りのブドウ畑や、田園風景が一望できる。石の階段をぐるぐる回って登るので、
とっても大変だけど、イタリアの田園風景は見応えがあり、圧倒される。そして上から見るカンポ広場は、周りの音が聞こえなくなり
疲れも、時間が経つのも忘れてしまうほど、綺麗だった。
<ご褒美ジェラート>
シェフは私にいつもご褒美をくれる。
『たくさん歩いて暑いし、疲れたね。ジェラートを食べよう!』
『電車にたくさん乗って疲れたね。ジェラートを食べよう!』
『塔に登って疲れたね。ジェラートを食べよう!』
で、私はいつも“ベリーとリモーネ”を食べる。
『また、同じものを食べるのー?』ってシェフが笑う。
イタリアにいる間、この会話は何度か繰り返した。
『たくさん歩いて暑いし、疲れたね。ジェラートを食べよう!』
『電車にたくさん乗って疲れたね。ジェラートを食べよう!』
『塔に登って疲れたね。ジェラートを食べよう!』
で、私はいつも“ベリーとリモーネ”を食べる。
『また、同じものを食べるのー?』ってシェフが笑う。
イタリアにいる間、この会話は何度か繰り返した。
<シエナのドゥオーモ>
大きな街には必ずあるドゥオーモは、それぞれの街によってその風貌をガラリと変える。
シエナのドゥオーモにたどり着くまでには、両側を古い石造り建物に挟まれた、
少し狭くて薄暗い通りを歩く。
カンポ広場からそう遠くない、まっすぐな道だけど、両側に沢山お店があって、
ジグザクに覗いて歩いていたら、結構時間がかかった。
薄暗い通りの出口に、ドゥオーモの一部分がゆっくりと見えてくる。夕日に照らされて、暗闇の中で輝いて見える。
通りが終わると、パッと開けた広場の真ん中に、ドゥオーモが現れた。
フィレンツェのドゥオーモよりやや小ぶりだけど、こちらの方が上品で繊細な感じだ。
古い大理石の大きな柱は、天井まで続く白と緑の大胆な縞模様が、とっても印象的。
床にはいろんな幾何学模様や、何か物語りのようなものが大理石で描かれていて
足の踏み場もない。床の絵に引き込まれてしまって、しばらく立ち止まってしまった。
私はキリスト教の基礎知識もなく、ましてや教徒でもないから、
教会に入ってしまうことにとても躊躇してしまう。
神聖な場所を汚してはいないかと思ってしまう。シェフにそう言うと
「僕は軽はずみな気持ちで入ってないし、純粋な気持ちで祈っているんだよ」
と言った。 「確かにそうだね。」・・・そう思ったら気持ちも軽くなり、
シェフと二人でロウソクを灯し、純粋な気持ちで祈ることが出来た。
シエナのドゥオーモにたどり着くまでには、両側を古い石造り建物に挟まれた、
少し狭くて薄暗い通りを歩く。
カンポ広場からそう遠くない、まっすぐな道だけど、両側に沢山お店があって、
ジグザクに覗いて歩いていたら、結構時間がかかった。
薄暗い通りの出口に、ドゥオーモの一部分がゆっくりと見えてくる。夕日に照らされて、暗闇の中で輝いて見える。
通りが終わると、パッと開けた広場の真ん中に、ドゥオーモが現れた。
フィレンツェのドゥオーモよりやや小ぶりだけど、こちらの方が上品で繊細な感じだ。
古い大理石の大きな柱は、天井まで続く白と緑の大胆な縞模様が、とっても印象的。
床にはいろんな幾何学模様や、何か物語りのようなものが大理石で描かれていて
足の踏み場もない。床の絵に引き込まれてしまって、しばらく立ち止まってしまった。
私はキリスト教の基礎知識もなく、ましてや教徒でもないから、
教会に入ってしまうことにとても躊躇してしまう。
神聖な場所を汚してはいないかと思ってしまう。シェフにそう言うと
「僕は軽はずみな気持ちで入ってないし、純粋な気持ちで祈っているんだよ」
と言った。 「確かにそうだね。」・・・そう思ったら気持ちも軽くなり、
シェフと二人でロウソクを灯し、純粋な気持ちで祈ることが出来た。
イタリア料理 IL GRAPPOLO(イル グラッポロ) 住所:三重県津市博多町5-52 TEL&FAX:059-222-8820